「三浦百恵」さんが40年ぶりに新著を出版 顔写真付きで女性週刊誌も泣いて喜ぶ

1980年に三浦友和(67)と結婚し、芸能界を引退した昭和の伝説的アイドル・山口百恵さん(60)。以来40年近く、表舞台には姿を現していない。ところが、平成を飛び越え、令和となって著作が出版されることが発表された。百恵さんといえば、引退直前に発行された自叙伝「蒼い時」(集英社)が知られるが、それ以来の新刊となる。 今回の発行元は日本ヴォーグ社。手芸関係の出版や、素材の販売、教室も開く会社である。彼女もキルト作家として展示会に出品していることは、何度も報じられてきた。発行されるのは、その作品集だという。 プレスリリースにはこうある。 〈「時間(とき)の花束 Bouquet du temps」三浦百惠 株式会社日本ヴォーグ社から令和元年7月末発売! 芸能界を引退してから現在までの30数年間、手仕事をずっと愛しみながら、まるで日記のように綴ったキルトの数々。時間(とき)を大切にし、人を思う愛に満ちあふれたそれらの作品が、今、花束のような美しい1冊の本に上梓。〉 果たして、百恵さんの言葉はあるのか? 近影は? いったいどんな本なのか、日本ヴォーグ社に聞いてみた。 「三浦さんの著書というよりも、キルト作家として登場いただいたと考えた方がいいと思います。あくまで作品集ですから、その作品について、作家として話していただいたことをこちらでまとめました。ただ、文章量は結構多いんです。後書きは三浦さんがお書きになっていますし……」(日本ヴォーグ社) 作品について、ということは純粋に手芸の技術的な話になるのだろうか。 「そうですね、三浦さんはキルト作家としての技術も高いですし、感性も優れていらっしゃいます。何に着想を得て製作されたか、素材にはどういったものを使っているかといった解説ももちろんあります。ただ、彼女のキルトとの出合いや、製作時のご家族のことになども触れていますよ」(同) ならば、キルトを趣味にしていない人にも楽しめるし、なにより百恵さんの近況を知ることもできる。ご本人の写真はないのだろうか。 「多くはありませんが、何点か使わせていただきます。もちろん、製作されているときの裁縫姿のものですが」(同) 表紙には百恵さんが写っているのだろうか。 「申し訳ありません。実を言うと、本はまだ出来上がっていないんですよ。7月末の発行とリリースしましたが、表紙も内容もまだ詰めているところなんです」(同) 丁寧に作られているようだ。判型はA4変形版(280×210mm)で、オールカラー128ページが予定されている。お値段は2千円+税である。すでにネットでは予約が殺到しているとも。日本ヴォーグ社はキルトなどの教室も開いているが、彼女が講師ならば、キルト作りを始める往年のファンもいるはずだ。招聘の予定などはないのだろうか。 「いや、それは難しいでしょうね。今回の作品集にも協力頂いているキルト作家の鷲沢玲子先生に、三浦さんは師事していらっしゃるのですが、先生の教室のお仲間をお好きなようですから」(同) 百恵さんは、女性週刊誌を中心に毎年のように報じられているが、これまで彼女が直接コメントした例はない。今回、作品集とはいえ、百恵さんに出版の了解が得られたのは快挙ではないか。 「弊社は手芸専門の会社ですし、三浦さんとはキルト作家としてお付き合いをさせて頂いてきました。ですから、意外とすんなりご了承頂きました」(同) 歯噛みしている女性週刊誌もあるかも……。これまで三浦さんのキルトに関する記事だけをざっと探しただけでも、以下の通り出てくる出てくる。ただし、これも彼女の作品について触れた記事のみである。

清純派アイドル・岡田奈々を襲った「監禁事件」とマスコミからの「セカンドレイプ」

異性の心を夢中にさせるのが重要な任務である以上、時代が令和に移っても、自宅前で暴行を受けたりと、アイドルの受難は珍しくない。だが、そんな中でも岡田奈々の密室監禁事件は、数々の謎もあって衝撃度は断トツだった。 1977年(昭和52年)7月15日の早朝、 「奈々からうちに電話がかかってきて、泣きながら“早く! 早く!”と言うんです。彼女の三田のマンションに行くと、警察が来ていて、両手から血を流した奈々が佇んでいて、すぐに救急搬送されました。“殺されると思って、とっさに犯人の包丁を握った”と言うんです。…

佐木隆三さん、奥田瑛二さん…著名人集った「蓼」 59年の歴史に幕

山口県下関市唐戸町の老舗スナック「蓼(たで)」が30日に閉店し、59年続いた歴史に幕を下ろす。直木賞作家の古川薫さんや佐木隆三さんら、多くの文化人、著名人が足しげく通い、語らいの場、娯楽の場として地元に愛され続けてきた。数々の思い出を胸に、店主の前田正子さん(79)はこれから福祉活動を始めるといい、「傘寿を迎えるに当たり、次に向けて歩み出すことにしました」と笑みを浮かべた。  唐戸商店街のビル2階にある「蓼」は1965年にオープン。夫でマスターの前田二六(じろく)さん(2008年逝去)と共に正子さんは二人三脚で切り盛りしてきた。屋号は知り合いの設計関係者から「漢字一文字が良い」「植物の名前だと店が長続きする」とアドバイスされて決めた。 店を始める前に正子さんは第一銀行下関支店に勤めていたこともあり、当時の人脈や、マスターの人柄もあって、古川さん、佐木さんら多くの文化人が常連として店に足を運んだ。「古川さんはおちゃめな人だった。おしゃべり好きで、楽しい思い出しかない」と目を細める。  店の評判は口コミで広がり、プロ野球・西鉄のエースとして活躍した鉄腕・稲尾和久さんや、元横綱・大乃国の芝田山康さん、俳優の奥田瑛二さんら、スポーツや芸能、経済など各界の著名人が全国から訪れ、“大人の社交場”として定着。時には、大物政治家らが姿を現すこともあり、居心地の良さに気を許すのか「口外できない話ばかりしていた。墓場まで持って行くわ」と振り返る。  二六さん亡きあと、店を支えてきたスタッフが家庭の事情で辞めることになり、今年の夏前に閉店を決断。「体が動くうちに、やりたいことに挑みたくなった」。前向きな「終活」として、来年からは子ども食堂の運営支援など福祉活動に乗り出すという。  昭和、平成、令和と時代の栄枯盛衰を見てきた「蓼」。それだけに閉店を惜しむ声が全国から寄せられている。「恵まれた59年間だった。気持ちの整理はつかないが、最後まで『蓼』らしくお客様を出迎えたい」。閉店まで残りわずかだが、普段通りの接客でもてなすつもりだ。