戦後、独創的なアイデアとお手ごろな価格設定で、一世をふうびした大阪の家電メーカー「船井電機」
最近では、アメリカの大リーグのスタジアムに掲げられた液晶テレビの広告も注目されました。
その船井がことし10月24日、東京地方裁判所から破産手続きの開始決定を受け、およそ550人の従業員は、その日に解雇を言い渡されました。
取材を進めると、破たんに至るまでの不透明な実態が明らかになってきました。
(大阪放送局 記者 谷井健吾)
突然の破たん
「船井電機が破産手続きの開始決定を受けた」
10月24日の夕方、信用調査会社が出した速報をうけ、取材が始まりました。
会社の広報にかけても電話には誰も出ず、大阪・大東市の本社へ急いで向かったものの、荷物を抱えて会社から出てきた従業員はことば少なでした。
その日、およそ550人の従業員に対して、解雇が言い渡されたということです。
元従業員
「前々から経営が危ないなと薄々みんな感じていたが、潰れるのは先かと思っていたので、きょうなんだという衝撃はあった。今までやっていた開発や、今後予定していた開発ができないのは残念」
ミシン卸問屋から“世界のFUNAI”へ
船井電機はミシンの卸問屋が前身です。
創業者の船井哲良氏は、ミシンの輸出で売り上げを伸ばし、その後、トランジスタラジオの生産も開始。
電機業界に参入します。
1961年、大阪に「船井電機」を設立。
テープレコーダーやラジカセの生産にも乗り出します。
日本経済の成長とともに円高が進む中、海外での生産強化や徹底したコストダウンで低価格路線を推し進めました。
船井の名を一躍世界にとどろかせたのは、1980年代、ブラウン管のテレビとビデオデッキが一体となった「テレビデオ」です。
北米では60%を超えるシェアを獲得したと言われています。
また、材料を入れてボタンを押すだけでパンが焼ける「家庭用のパン焼き器」の開発など、ユニークな商品の数々も話題となりました。
1990年代からは、アメリカの小売り大手、「ウォルマート」との取引を開始。
2000年代以降は、液晶テレビの生産に乗り出し、北米で販売を伸ばします。
アメリカの大リーグのスタジアムにも広告を掲げ、「世界のFUNAI」として、グローバルな事業体制を構築するまでになりました。
ただ、こうしたビジネスモデルは、ほかのメーカーも追随し、さらに技術力をつけた中国や韓国のメーカーとの価格競争も激しくなっていきます。
東京の企業が買収
2017年に創業者が死去。
主力のテレビ事業の落ち込みで業績が低迷する中、2021年、船井電機は、出版などを手がける東京の会社の傘下に入ります。
社長に就任したのは、大手コンサルティング会社出身の上田智一氏でした。
破たん前のことし9月まで社長をつとめていました。
船井を買収した上田氏は、テレビ事業に依存する経営からの脱却を目指し、利益率の高い美容家電に目を付けます。
そこで、企画開発などで相乗効果が見込めるとして、脱毛サロンを全国展開する会社の買収に乗り出したのです。
しかし、この買収が裏目に出てしまいます。
脱毛サロンが抱えていた未払いの取引先への広告代金の肩代わりなどで、債務が膨らむ形となりました。
関係者への取材や裁判所への申し立て書によると、2024年9月末の時点で、117億円あまりの債務超過に陥っていたということです。
このことについて、上田氏が取材に応じました。
元社長の上田智一氏
「テレビ事業で大きな赤字が出ていたので、きちんと方向性をつけ、新しい事業をみつけることで船井電機は必ず再生できると思っていた。3年間、自分なりに頑張ったが、こういう結果になったことは本当に残念だと思っている。経営者としては本当に申し訳なかったという思いだ」
脱毛サロン買収に失敗 混迷深まる
経営に行き詰まる中、上田氏は、投資ファンドに保有する株式すべてを売却し、退任することを決めます。
しかし、その売却額はわずか1円だったのです。
土地や建物など会社の資産があるのに、なぜ、破格の安値で株式を売却したのか。
これについて上田氏は…
元社長の上田智一氏
「金額にばかり目がいくが、企業価値として1円というのは正しくない。背負っている債務保証を新しいファンドにきちんと引き継いでもらう。株式に価値はつけなくてよいから、ファンドのほうで引き取ってもらうということだった」
ただ、船井電機が投資ファンドに1円で売却され、上田氏が社長を退いた9月27日、その日のうちに船井の株式は、ファンドとは別の会社に移されていたことが関係者への取材で分かっています。
一体それが何を意味するのかは、今の時点でははっきりしません。
新経営陣でスタートも
そうした中、船井電機はファンド側が決めた新たな経営陣のもとで、再スタートします。
しかし、資金繰りは悪化の一途をたどります。
当時の状況について元取締役が、次のように証言しました。
元取締役
「毎日朝9時半から資金繰り会議をしていた。取引先などから早く払ってほしいという話をいただきながら、払える段階にはないということで、かなりお叱りを受けながら、優先順位を決めていた。いくつか入金予定もあったが、10月25日の給料を考えると、ショートしてしまう状況だった」
破産手続き開始決定へ
さらにこの元取締役。
新しい経営陣の一部による不動産売却の動きが、破産申し立ての引き金となったのではないかと指摘します。
社内で資金流出への懸念が高まっていたというのです。
そして迎えた10月24日、創業家出身の別の取締役の1人が、取締役の決議を経なくても裁判所への申し立てが可能な「準自己破産」と呼ばれる方法で、裁判所に破産を申し立てました。
元取締役
「私を含めてほかの役員は、10月24日の破産に関しては、知らされていませんでした。新しく入った一部の経営陣が、会社の不動産の売却を急いでいるという話や、不動産業者を連れてきたという話も入ってきたので、これはちょっとまずいのではないかと、役員間ではそういう話もあった」
数々の疑問残されたまま
明らかになってきた船井電機の売却をめぐる不透明な実態。
その一方で、破産手続きの開始決定に反発する動きも表面化しています。
「民事再生は可能だ」とする船井電機の会長が、東京地方裁判所に対して、民事再生法の適用を申請したということです。
破産の申し立てから2か月あまり。
経営陣の間で混乱は続いていますが、解雇された従業員の多くは、いまだ再就職先が見つかっていない状況です。
会社の破産という重要な申し立てが、なぜ1人の取締役によって行われるに至ったのか。
数々の疑問が残されたままとなっています。