1999年12月25日、クリスマスの夜、徳島県で自衛官Mさんが不可解な死を遂げた事件が、25年以上経った今も解決の糸口すら見えない。彼の遺体は新逆瀬橋の下で発見され、警察は即座に「事故」と断定したが、その背後には数々の矛盾が潜んでいる。
Mさんは広島県の自衛隊に勤務しており、クリスマスを家族と過ごすため実家に帰る途中で姿を消した。彼の車は、実家から60kmも離れた場所に放置され、激しい衝突の痕跡が残されていたにもかかわらず、警察は事件性を疑わなかった。車内にはエアバッグが作動した形跡があり、左側のフロント部分は大きく破損していた。この異常な状況にもかかわらず、警察は「ただの放置車両」として扱い、初動捜査を怠った。
12月27日、Mさんの遺体が発見された際、司法解剖の結果は驚愕のものであった。彼は転落前に致命的な胸部損傷を受けており、これは事故によるものではないとされた。警察の説明はあまりにも不自然で、物理学的にも説明のつかない矛盾が数多く存在する。
さらに、目撃者の証言も事件の真相を暗示している。Mさんの車が追われていたとの証言や、橋の近くでの不審な動きがあったという情報もあり、暴走族との関連が疑われている。地域の権力構造がこの事件に影響を与えているとの指摘もあり、捜査の不透明さはますます深まるばかりだ。
この事件は、真実を求める遺族の闘いと共に、私たちに警察の捜査がいかに重要であるかを再認識させる。Mさんの無念を晴らすため、そして同様の悲劇を繰り返さないためにも、私たちはこの事件を決して忘れてはならない。真実はいつか明らかになると信じて。