博多と由布院・別府を結ぶJR九州の観光列車「ゆふいんの森」が運行開始から35周年を迎えたのを記念し、停車駅のJR鳥栖駅1・2番ホームにある立ち食いうどん店「中央軒」が、緑色の“ゆふいんの森バージョン”に塗り替えられた。24日、同駅ホームでお披露目された。 中央軒は1956(昭和31)年、九州の駅で最も早く立ち食いうどんの営業を始めた老舗。「かしわうどん」は鳥栖名物として親しまれ、ゆふいんの森で販売する弁当も提供している。ホーム店舗の塗り替えはJR九州と中央軒がタイアップし、記念イベントとして実施した。 お披露目式には鳥栖いづみ園の園児、鳥栖工業高機械科の生徒ら120人が参加。中央軒の児玉隆二社長は「歴史ある店舗だが、新たな時代の鳥栖駅、中央軒の看板となり、楽しみの一つになってくれれば」とあいさつ。久冨勝之鳥栖駅長は「ゆふいんの森はJR九州にとって観光列車の第1号。鳥栖はいろんな列車が止まり、見どころもたくさんなので多くの人に来てもらえれば」と話した。 鳥栖工業高機械科は、今回の企画に合わせ、鉄の鋳込み技術を生かした直径30センチの銅製プレートを贈る計画で、この日は一足先に模型を手渡した。来年2月には贈呈予定で、3年の古川初芽さんは「仕上げにこだわり、完璧なものをお渡ししたい」と話した。(樋渡光憲)
66歳になるクリスマスの誕生日を前に、メジャー最多の1406盗塁を誇るリッキー・ヘンダーソンが他界した。米メディアによると、長く肺炎を患っていたそうだ。 9月29日(現地時間、以下同)、Tモバイル・パークで行われたアスレチックス対マリナーズ戦で始球式を行ったのが、公の場に姿を見せた最後とされる。そのときの映像を見ると、現役時代とほぼ変わらない体型であり、今にも走り出しそう。 あれから、わずか2カ月半後のこと。球界全体が言葉を失っている。 そのヘンダーソンは2008年のインタビュー(スポーツ・イラストレイテッド電子版、9月10日)で、「ホワン・ピエール(マーリンズなど)、カール・クロフォード(レイズなど)、ジミー・ロリンズ(フィリーズなど)、ラファエル・ファーカル(ブレーブスなど)らの盗塁スタイルが好き」と話していたが、彼の目には大谷翔平(ドジャース)の走塁、盗塁技術はどう映っていたのだろう。 一度聞いてみたかったが、彼がそのインタビューで残した言葉と、クレイトン・マッカロー元ドジャース一塁コーチ(現マーリンズ監督)による大谷の盗塁技術の解説を比較しつつ、二人の共通点、相違点などをたどってみたい。 ※リンク先は外部サイトの場合があります 「誰もけん制でリッキーを刺すことはできない」 まず、最大の違いは、スライディング。大谷は足から、ヘンダーソンは頭から。その理由について、ヘンダーソンはこう説明している。 「ヘッドスライディングを始めたのは、3Aのとき。足から滑ると、膝と足を痛めてしまうリスクがある。もちろん、頭からいくと、肩と手をケガする可能性がある。どちらがより、キャリアに影響が少ないかを考えた。リッキーとって膝と足が一番大事だから、頭を選んだ」 大谷はワールドシリーズで左肩を脱臼。足からスライディングをしても肩を痛める可能性は否定できないが、やはり投手もやっている大谷が、ヘッドスラインディングをすることは想像し難い。頭からの場合、体への衝撃も無視できないが、ヘンダーソンはこう心がけていたという。 「飛行機の着陸のとき、激しく揺れるときとスムーズなときがある。あるとき、全く揺れなかったから、機長に聞いたんだ。『どうやったら、あんなにスムーズに降りられるんだ』って? そうしたら、『着陸直前、できるだけ長く低い位置をキープすることだ』と教えられた。リッキーは以来、体への衝撃を和らげるため、できるだけ低い位置から、スライディングをするようにしたんだ」 一方、投手の動きを読むことに関しては、共通点が多い。大谷に関しては、マッカローコーチがこう証言している。 「翔平は、相手投手の映像を非常に注意深く見ている。けん制の動作、けん制がきそうなタイミングやカウント、投球モーション。ホームに投げるときとけん制を投げるとき、体の動きはどう違うのか。けん制を投げる前に上体が少し後ろに傾くが、ホームに投げるときは立っているとか。けん制のときとホームに投げるときとでは、投手によって微妙にグラブの位置に違いもある。試合中もそうだ。彼は『肘の後ろが動く』とか気づいた点を指摘してくる。試合前の予習もすごいけど、試合中も常に観察している」 対してヘンダーソンは、こう話している。 「打席で相手投手の動きから、球種を見抜く打者がいる。自分にはまったくわからない。でも、一塁へ行くと、ホームへ投げるのか、けん制が来るのか、すべてわかる。クイックが上手い投手からはやはり、盗塁しにくい。でも、けん制が上手い投手からは、盗塁がしやすい。誰もけん制でリッキーを刺すことはできない」 “けん制が上手い投手からは盗塁がしやすい”ーーというのは、矛盾しているようだが、どういうことか。その答えは、キャリア序盤にあるよう。 「130盗塁をしたとき(1982年)、42回も失敗がある。でも、そのうち36回がけん制死だった。だから、相手のけん制の動きを徹底的に研究するようになったんだ」 以来、けん制に対しては絶対の自信を持つようになった。結果として、盗塁の成功率も上がっていった。
12月26日、大阪拘置所で、筧(かけひ)千佐子死刑囚(78)が病死していたことが報じられた。筧死刑囚は、2012年から13年にかけて、遺産取得の目的で、夫や内縁関係にあった男性2名に青酸入りのカプセルを飲ませて殺害。2007年にも4000万円の借金を逃れるために、知人の男性を殺害しようとした。 彼女は20年間で4人の夫と死別し、他にも結婚相談所を介して6人の男性と交際(すべてその後死亡)した結果、遺産として約10億円を手にしていた。見合い相手はみな60歳以上の男性で、殺し文句は「あなたしかいない」。「後妻業の女」として大きな話題となったのだ。 公判で無罪を主張したが、京都地裁で死刑が宣告。大阪高裁、続いて最高裁でも控訴や上告が棄却され、2021年に死刑が確定している。 デイリー新潮では、判決確定直後の2021年7月21日、大阪拘置所で彼女と面会している。以下、その際の筧死刑囚の発言を再録し、その非道な犯罪を振り返りたい。 (「デイリー新潮」2021年8月14日号記事の再配信です。 文中の年齢、役職、年代等は当時のものです) 「とっくに死刑の覚悟は出来てます。そんな野暮なこと聞かんといて下さい」 7月21日、大阪拘置所の15番面会室に姿を現した筧千佐子(74)は、こう語りだした。 この数時間後、死刑判決に対する弁護側の訂正申し立てが7月17日付で棄却され、21日までに死刑が確定したことが報じられた。 事実上、彼女の立場は面会時点ですでに「被告」ではなく、「死刑囚」に変わっていたことになる。以下は、千佐子死刑囚が語った現在の心境である。 改めて振り返ると、彼女は4人の男性に青酸化合物を飲ませ、3件の殺人と1件の強盗殺人未遂の罪に問われていた。結婚相談所で出会った交際相手や夫を次々に殺め、多額の遺産を手にしたその犯行の手口から、「後妻業の女」と呼ばれた。 2014年の逮捕時には、年齢より若く見える溌剌とした姿の見合い写真が一斉に報道されている。 面会室に現れた千佐子死刑囚は、逮捕時の若々しい姿は見る影もなく、乱れた白髪が肩下まで伸び、どこにでもいる老婆だった。 そして、椅子に座ると、開口一番、 「私耳遠くなってるし、お互いマスクしているから、声聞き取りにくいので、マスクとって話して下さい」 と、マスクを指差し身振り手振りを交えて告げた。むろん、新型コロナ対策の点からマスクを外すことはしなかったが、はきはきと話すその様子からは、弁護側が主張したような認知症の傾向は微塵も感じられなかった。 弁護側は1審から上告審に至るまで、認知症を理由に責任能力がないなどと主張し、一貫して無罪を求めていた。千佐子死刑囚本人は、法廷で黙秘や殺害否認をすることもあったが、一方で犯行を認める供述をしたこともあった。 彼女の弁護側が行った「判決訂正の申し立て」は、最後の不服申し立ての手段で、訂正が認められることはまずない。 千佐子死刑囚も、 「訂正申し立てっていうのをしてるんですか? 弁護士の先生がなんかやってくれてるんやと思いますけど、私、訂正申し立てって言葉は今はじめて聞いたぐらいや」…